【松島への帰還】第1話:ブルーインパルス6番機として選抜されるまでの葛藤(会員限定🔒)

今回から、私がブルーインパルス6番機として選抜されるまでの経緯、そしてブルーインパルス11飛行隊に着隊した2012年(東日本大震災後)当時の状況について、より深くお話ししていきます。

このシリーズ【松島への帰還】は、「芦屋基地移動訓練」や「松島基地復興」への深い感謝を込め、当時を知らない方にも、あの頃の空気を感じてもらえるように書いています。

6番機に選抜されるまでの葛藤。震災後の松島基地の現実。芦屋移動訓練の裏側。築城基地でのフィールドアクロ。見島での厳しい訓練。そして松島への帰還までの道のり。

あの時代には、言葉では語り尽くせない事実と努力、葛藤と涙があり、そのすべてが今のブルーインパルスの礎となり、確かに受け継がれています。

先輩方が積み重ねてきた「並々ならぬ熱い思い」と「たゆまぬ努力」。それらはブルーインパルス伝統の技とともに静かに、しかし力強く脈々と受け継がれています。

そして、当時を知る一人として、その姿を語り継ぐことは、私にとってひとつの使命だと感じています。

那覇基地第204飛行隊—ファイターとしての「中堅期」

私はF15のパイロットとして、百里基地の204飛行隊に配属されました。そこから6年が経ち、2009年の部隊移動で那覇基地へ異動。いわゆる「中堅どころ」のパイロットになっていました。

資格でいうと「FL、IP」—4機編隊を率いるフライトリーダーであり、インストラクターパイロットとして後輩を育てる立場。戦技研究も指導も任され、いわゆる「負けん気バリバリ」のファイターパイロットでした。

毎日が刺激的で、毎日が勝負。その一方で、心の奥底にはずっと消えない「ある思い」がありました。

いつかブルーインパルスに挑戦したい。

子どもの頃から憧れ続けた青と白の翼。その想いは、どれだけ戦闘機で忙しい日々を送っていても、心の片隅で静かに灯り続けていました。

レジェンド先輩が語る「6番機の青い世界」

204飛行隊には、元ブルーインパルス6番機のチョージさんがいました。私より10期上の先輩で、存在そのものが「レジェンド」。

6番機に強い憧れを抱いていた私にとって、実際に6番機としてフライトしていた先輩が同じ部隊にいるというだけで胸が高鳴りました。そんな貴重すぎる環境の中で、私はチョージさんのもとへ何度も足を運び、話を聞かせていただきました。

チョージさんは常にクール。だけどその奥にある熱は、話すたびに伝わってくる、そんな人でした。

まず、スローロールについて質問しました。するとチョージさんは、いつもの落ち着いた口調で、時おり微笑みを交えながら語り始めました。

パイロットなら誰しもが不思議に思うあの機動。重力に逆らいながら、どうやって一つの線の上をまっすぐ正確に飛ぶのか—謎だらけでした。

「右にロール入れながら、左ラダーをちょいっと踏むのよ。そこから、背面になるときに、マイナスGをペロリとかけながら~右ラダー」

天才肌のチョージさんは簡単そうに話してくれますが、実際には高度400ノットの速度を維持しながら、わずかなロール角度やラダーの踏み込みを繊細に調整し続ける必要があります。

背面に入る瞬間はマイナスGがかかり、姿勢を崩さず空に一本の「線」を描き続けなければならない。

その難しさ、奥深さを、チョージさんの表情や話の“間”から強烈に感じ取りました。まさに6番機の象徴ともいえる技でした。

その後、チョージさんはコークスクリューの話をしてくれました。スローロールが「まっすぐ一本の線を描くための繊細な技」だとすれば、コークスクリューは「立体的に空間を使いながら魅せるダイナミックな技」。性質がまったく異なるため、聞いているだけで楽しくて仕方ありませんでした。

「コークスクリューは、おもしろいよね。ペロリンちょ!だな

説明になっているようで、なっていない。でも、その仕草と温度感から「不思議と理解したような気になる」のです。

チョージさんの話を聞くたびに、間近でブルーインパルスを感じることができて興奮しました。

自分もいつか6番機に挑戦したい。スローロールを極めたい。コークスクリューを飛んでみたい。

その気持ちは、日に日に強くなっていきました。そして、この時の強烈な憧れと確信が、後に6番機を本気で目指す決断へと私を大きく動かしていくことになります。

アグレッサー出身の隊長がくれた言葉

私がブルーインパルス11飛行隊に行きたいという思いを抱えていることは、飛行隊長もよく理解してくださっていました。実をいうと、以前に3番機として行ける可能性があった時期がありました。しかし、その際にアグレッサー(戦技教導隊)出身の飛行隊長から、ある言葉をかけられました。

「黒い世界も良いぞ。アグレッサーに行く方が、戦闘機パイロットとして圧倒的に成長できるぞ。」

その言葉には重みがあり、経験に裏打ちされた説得力がありました。アグレッサーは「教官の教官」と呼ばれるほど高い技量が求められ、空自でも限られた者しか辿り着けない世界。戦闘機パイロットとして研ぎ澄まされるという点では、確かに魅力的な道でした。

ただ、私の心にはどうしても揺らがない想いがありました。

どうしてもブルーに行きたい。

3番機の枠には、同期の「大越JIN」が選ばれました。それも当然の実力でしたし、同期として誇らしい気持ちもありました。

私はというと、自分の想いを隊長に丁寧に伝え続けました。すると隊長は、次第に「なぜそこまでブルーを目指すのか」という私の核心に耳を傾けてくださるようになり、最後にはその真意を深く理解していただくことができました。

6番機選抜への現実と葛藤

その後、飛行隊長が交代し、新たに着任された隊長は、私の本心にも丁寧に耳を傾けてくださる方でした。とはいえ、ブルーインパルスに行けるのはほんの一握り。

それぞれの番機の枠は「2年に1人だけ」という極めて狭き門です。

ブルーに特別な人脈があるわけでもなく、私にできることは、目の前の任務に地道に向き合い、日々の積み重ねを大切にすることだけでした。

評価されるのは技量だけではありません。人間性、日常の態度、仲間との関係性、任務に向き合う姿勢。文字通り、すべてが対象になります。多くの希望者の中から6番機要員として選抜されるためには、「上手い」「強い」といった表面的な部分だけでは到底足りないのです。

その現実を知っていたからこそ、私は「自分ではどうにもできない領域」の大きさを痛感し、焦りや不安と向き合いながら、日々葛藤していました。

部隊の通常任務は次々と進んでいきました。精強な部隊育成のため、私は日々の計画業務や訓練準備に追われながら、書類作成、調整業務、ブリーフィング、そして実機の訓練に取り組む毎日を送っていました。

その合間にも、「自分は選ばれるのだろうか?」という不安がふと頭をよぎる。しかし答えは誰にも分からない。だからこそ、今できることを一つひとつ丁寧にこなすしかありませんでした。

そんな「どうしようもない日々」が続きながらも、どこかで「いつか必ずチャンスが来る」、そう信じていた自分がいました。

次回予告

次回は、私がブルーインパルス6番機として「選抜された瞬間」、そして運命を大きく揺さぶった「3.11」の出来事についてお話しします。あの日、何が起きていたのか。