【ブルーインパルスへの挑戦】第8話(最終話):旅立ちの日

合格通知が届いたその日から、気持ちは一気に軽くなって、残りの高校生活を思い切り楽しもうという気持ちになっていました。 嬉しさや誇らしさがこみ上げてくる一方で、友人たちとの日常が終わってしまうという、なんとも言えない寂しさもどこかに感じていました。

そんな中、仲間と一緒に卒業ライブの準備を始め、日々は再び忙しく動き出します。 そして、航空学生としての第一歩となる「防府」へ向かう日が、少しずつ近づいてきました。

青い春の最終話です。

合格後の高校生活

帰ってからの日々は、飛行機から一転、音楽漬けの毎日でした。 受験という大きな壁を乗り越えた安堵感とともに、これまで少し控えていた趣味や友人との活動に、再び全力で取り組む時間が戻ってきたのです。

仲間たちと話しているうちに、「卒業ライブをやろう!」という話題で一気に盛り上がりました。 高校生活最後の思い出として、自分たちで企画し、運営し、最高のライブを作り上げようと決意しました。

3月の開催に向けて、まずは地元のホテルのホールを押さえる手続きからスタートしました。
会場が決まると、次はドラムセットやアンプ、PAシステムなどの音響機材の手配。
近くの楽器店で条件を交渉したり、知り合いに借りられないか相談したりと、限られた予算でやりくりする工夫を重ねました。

当然、高校生の私たちには十分な資金があるわけもなく、どうにか運営費をまかなうためにチケット制を採用。他校の友人たちにも声をかけながら、放課後の時間を使って一枚一枚手売りしていきました。

卒業ライブ当日

当日は、想像をはるかに超える300人以上の高校生が会場に足を運んでくれました。

オープニングでは、お笑い担当の同級生たちによるコントで会場を一気に和ませ、その流れでバンド演奏が始まりました。 最初の一音が響いた瞬間、客席から沸き起こる大きな歓声と拍手。観客の熱気がこちらにも伝わってきて、一気に会場全体が一つになったような感覚でした。

私はこの日、3つのバンドを掛け持ちし、ギター・ボーカル・ドラムと役割を変えながら、次々とステージを移動して全力で演奏しました。疲れ知らずの高校生、ただただ全力疾走するステージ。

照明や音響もすべて自分たちで準備した完全手作りのライブ。 機材のセッティング、MCの進行、照明の切り替え。すべてに仲間たちの工夫と気合いが詰まっていました。スタッフも全員が友人で、それぞれが裏方として全力を尽くしてくれたからこそ、ステージは成り立っていました。

トラブルもいくつかありました。照明のタイミングが少しズレたり、マイクがうまく入らなかったり。それでも、観客は温かく見守ってくれて、時には笑いに変えてくれるほどの一体感がありました。

後で知ったのですが、両親がこっそり観に来てくれていたそうです。それを聞いたときは、ちょっと気恥ずかしいような、でも嬉しいような、不思議な気持ちになりました。

この卒業ライブは、間違いなく自分にとっての青春そのものでした。今でも、10代の記憶の中で一番鮮やかに残っている一日です。

母校への感謝

ライブが終わったあとの数日は、心にぽっかり穴が空いたような感覚でした。 燃え尽きたというより、何かをやり切った達成感と、その先にある「次」が、静かに近づいてくるのを感じていました。

学校では卒業に向けた準備が進み、クラスメイトとの別れを少しずつ意識し始めた頃。 普段通りの会話や昼休みも、どこか名残惜しく感じるようになっていきました。

そして卒業式当日。 制服のボタンを一つずつ外しながら、これまでの出来事を思い出し、「ありがとう」と心の中で静かに呟きました。 その日を境に、いよいよ防府北基地へ向かう準備が、現実のものとして動き始めました。

旅立ちの日

膨れ上がったスーツケースに、ひざから乗って必死に荷物を詰め込みました。やっとの思いで閉まったファスナーを前に、「いよいよか」と胸が高鳴りました。

この日は、防府北基地への移動日。いつもお世話になっていた自衛隊地方協力本部のKさんが、自宅まで迎えに来てくださいました。

「こんにちは、いよいよだね」

笑顔が素敵でスラっとした体型のスポーツマンKさん。一次試験の前からずっとお世話になっていた方です。

「あ、はい」

学生時代はバスケットボールやバンド活動に明け暮れていた私が、航空自衛隊に入隊するという実感はまだ湧いていませんでした。

「じゃあ、行ってくるわ」

18年間育ててくれた両親に別れを告げる瞬間。母はしつけに厳しく、体格は小柄で150cmほど。普段は気丈なその母の目に、涙が浮かんでいました。

「身体に気を付けて頑張ってね…」

母の涙が止まりません。

その隣で、母とは対照的な性格の父が、明るい笑顔で手を振っています。

「頑張ってこいよ!」

高身長で、どんなことでも「大丈夫だ」と言える楽観的な人。人生はなんとかなる、と本気で信じているようなタイプです。

地連のカローラに乗り込み、助手席の窓を開けました。Kさんが隣にいることもあって、見送られることが少し気恥ずかしくもありました。

「じゃあね」

照れくささを隠しきれず、つぶやくように声をかけました。

車は静かに走り出し、サイドミラーには、いつまでも手を振り続け涙を拭う母の姿と、大きな父のシルエットが映っていました。

「世界一のパイロットになってやる」

そんな根拠のない自信を胸に、防府への道をまっすぐに進んでいきました。

おわりに

これで、航空学生合格までの道のりは一区切りとなります。

やんちゃでどうしようもなかった私が、友人・先生・両親など多くの方々の支えによって奮起し、奇跡の大逆転を遂げた、そんな自分でも信じがたい実話です。

タイトルを【ブルーインパルスへの挑戦】としたのは、学生時代に純粋な目で見たブルーインパルスに強い憧れを抱いていたからです。

結果として、私はブルーインパルスの6番機を務めることとなりましたが、振り返ると、「夢を叶えよう」と計画的に努力したというよりも、「目の前のことを死にものぐるいで乗り越えてきた」という感覚の方が近いです。

夢を追い続けるということは、その気持ちを心の奥にしまい込みながら、目の前の課題を一つ一つ、必死に乗り越え続けることなのだと思います。

失敗や不安、迷いがあったとしても、それを振り切るような努力と覚悟が、やがて自分を思いもよらない場所へと導いてくれる。

このつたないブログが、ひとりでも多くの方の心に届き、「自分も頑張ってみよう」と思っていただけるきっかけになれたのなら、これ以上の喜びはございません。

ここまで読んでくださったすべての方に、心より感謝申し上げます。


最後に、もうひとつだけ。

高校時代、まだ未熟だった私に真摯に向き合い、支えてくださった地連(現在の地本)のKさん。 どんなときも親身に話を聞き、進路に悩む私に静かに寄り添ってくれました。

そのKさんが、数年後にご病気で亡くなられたことを知ったときは、言葉が出ませんでした。 直接感謝の気持ちを伝えられなかったことが、今でも心に残っています。

Kさん、本当にありがとうございました。あなたの支えがあったからこそ、私は空を目指す覚悟を持てました。